夜間の学習を終え、帰宅する夜学生の願いです。進学に何か問題があるのでしょうか。事情が好転し、うまく進学できるよう一緒に祈りたくなります。
実際にはまっすぐに生きると、損をする世の中だからこそ、この句が光ります。
願いをする、あるいは願いを聴いてあげるにも、タイミングというものがあります。このパンの耳というのは自分の耳のこと、面白い句です。
親になるまでは、平和など当たり前と思っていた僕が、親になったらこう思う。自分の親もそうだったのだということに気付いています。
誰に頼んでいるのでしょう。神さまじゃない。神さまなら「しておくれ」とは言わないでしょう。もう無駄だと悟っている心のありようが下五句に出ています。
切ない電話、誰にでもこんな電話一度はあるでしょう。
逢いたいけれど、孫はなかなか来てくれません。
この句もよくわかります。お願いするしかありません。
見過ごしている葱坊主にもこんな願いが。
親の願いは切なく、ありがたいですね。
最後の「走る」という措辞が効いてます。
ひたむきに願えば、信号だって青になる。
みんな行く道ですが、身につまされます。
最後はやっぱり親にすがります。
戦後七十年。平和のありがたさ。
欲張りすぎでしょうか、でも女ですもの。
そのとおりです。いっぱい願い長生きしましょう。
皆が幸せになれますように、願わずにいられません。
本気であたると思ってる人はいないでしょうけど。
なんとなく一日がすぎる、それも幸せ。
子どもはずるがしこい。
叶うとは思ってなくとも初詣、平和なひとこま。
女正月、ってよく知りませんでしたが・・・
人間の欲にはきりがない。
歳をとるとみんな・・・。逆走よりましか。
願いを込めた鈴はどんな音でなるのでしょう。
左目の願いと右目の願い。両方まるがつきますよう。
最後はこうありたいもの。
これは本音、建て前は逆ですね。
言葉のとおりです。