朝に朝星夕に夕星。篤農家といわれた父。いつかその父の背を追い父が仰いだ星を仰いでいる。
激流が若鮎を育てる。この流れに勝ったものだけが産卵を終えたゆたう海へ帰ることができる。
崇高で大いなる使命感がなければ袖を通すことができない白衣。今、もっとも尊敬に値する人たちである。
下積みがあってこそのレギュラー。拾い続けた球の数ほど人の痛みを知っているレギュラー。
抱いた骨壺の骨がコトリと音を立てた。難病と言われた骨の弱いところだろう。音に母を偲ぶ。
降り注ぐ雨と太陽に育てられた雑草は「抜くなら抜いてみよ」。かくして闘いのゴングが鳴り響く。
これはまた何というほほえましい挑戦。たとえ転んで傷を作ってもそれは勲章の傷。
挑戦を続ける限り「老い」とは無縁のことか。老いは年齢で表すものではなく希望があるかどうか。
人類が二足歩行を始めて何年になるのだろう。人とケモノの境の二足歩行。この靴でもう少し。
電話で済むことは電話、とはいかぬ。加えて「打て、待て」の政の混乱。スマホの母に拍手。
何処も鳥獣被害は深刻。雀百羽に挑む今年の案山子。今にも声を出しそうな出来栄え。
失敗を恐れて閉じこもるより遥か彼方の天に向かって挑む勇気こそ。たとえ翼が日に溶けようと。
山が高ければなお、流れが激しければなお。若者はそれに挑むことで若者であることを証明する。
年齢を重ねれば挑む山の高さも相応に。山に代わってこの道を歩き続けることが喜びに。
子を守る、子孫を残すということがいかに大切なことかを現代人に教えてくれるつばめ。
育児パパはいまや現代の潮流。ママとは違うオムツの替え方の不快感を泣き声の挑戦状。
余命への歳月は鉄条網にも似た激しさと厳しさを併せ持つ。しかしその冷たさがどうであれ。
ワクチン接種が夏でよかった。ぐいと接種の打ち手に二の腕をさらす。腕にまだ若さが。
修行僧が修行僧であるゆえんは困難に立ち向かっても表情を崩さぬことができるから。
見上げるあの頂上も少しずつの一歩を刻まねば到達できぬと教えてくれたカタツムリ。
寝たきりで伸ばす寿命よりやはり健康寿命で終えたいもの。それはウオーキングの一歩から。
日常のどこにこんな力があるのか。鍬を握れば「昔とった杵柄」ならぬ「鍬柄」。
「生き抜く」ということは「挑み抜く」ということをこの句が教える。水鳥は水掻きを激しく動かす。
男は外女は内、の概念は通じなくなった。戦力としてはまだだが、育成枠では何とか。
夕日が背中を押してくれた逆上がり。長く伸びた自分の影を蹴る孫のがんばりをじっと。
有り余る力。いっそ二兎に挑戦してみるか。先人は戒めたができるかもしれぬ力瘤。
地方再生など遠い昔のお題目。一極集中の大波をかぶった「兵どもの夢の跡」。
不用不急の呼びかけに国民というかたまりにほころびも。打って一丸となって、は今も昔も。
空や海の青にも染まず漂ったのは若山牧水の白鳥。ここでは白百合がスックと。白百合の健気さ。
女は弱しされど母は。子を産んだその母に立ち向かう勇気は私にはない。