今年の稲の出来は去年より。豊作に感謝。いつしか「落とし水」の儀式も父に仕草に似て。
冷たい水は日なた水にして田に入れる。眠りから覚めた蛙も田起こしを手伝う。遠山にはまだ雪の白さが。
いたずら好きなごんぎつね。いたずらのお詫びにくりやマツタケを運んだが最後は銃で撃たれた月の夜。
同窓会の終わりに組み込まれた校歌斉唱。時は流れてもふるさとの山川はいつでも君の帰りを待っている。
これはまた川で仕切られた郡部の名残。藩政はことばも生活様式もわずかに隣とは違った。
ここで言う嘘とはあくまで生きていくために自分についた嘘。新たな明日が待っている。
今も確かに覚えている。この音は母の胎内で聞いた音だ。ふるさとの川も心臓の音に呼応してゆるやか。
母なる川を忘れない鮭の習性。これもまた種族保存本能の一つである。産卵を終えた鮭を待つ食物連鎖。
恐らく極楽浄土とはこのようなところではないか。自分の両手両足がこんなにも長かったとは。
時に向こう岸から呼びかけられたという臨死体験の話。人が死んで七日目に渡るという。冥土への川。
どうしても飛び越せぬ。生きていくにはいくつもの障害を超せねばならぬ。
川のほとりに生まれた人類の文化文明。改めて川への畏敬の念を深くする。
何のために生きる。生きる価値とは。雪解水を集めた川面は時に波立ちいつも知らんぷり。
この花びらは離合集散をくり返しお浄土にでも向かうのか。花筏は風の意のままどこまでも。
鮎を育てたこの川が生活を根こそぎ奪っていく。人知及ばぬ自然の前で立ち尽くすしかないのか。
行きつ戻りつの人生。生きていくということはいくつもの逡巡を重ねてあの大海原へ。
ミナマタからフクシマまで。人の傲りは果てもない。いつか雑魚の反撃を食らう日がくることだろう。
全ての川は海に向かって流れだす。海はどんな野望も聞いてくれるだろう。
海は山が作るという。山の思想は海の思想でもある。川は山のラブレターを運ぶ郵便夫でもある。
汽水域。この向こうは終点の海。蛇行を重ねた青年期。やがてゆるやかな河口に辿り着く。
そうか。人は川を求めて集まったのか。水が無ければ生きられぬ。人集まれば街ができ。
この子の夜泣きに何度起こされたのか。あの日の「夜泣き」が明日は結婚するという。光陰は矢よりも早し。
濁流も清流も、そして大も小の河川も。川はやがて海へ。海の字の中には母がいる。
色々あった。生きるということは「許す」ということか。一切を水に流してさあ一歩前へ。
釣り糸の先に銀鱗が水面を跳ねる。晩飯のおかずを家人に約束をしてきたが今日の川は何となく渋い。
河川敷は儀式を演じる舞台だった。ここで仲間を作り小さな掟も。蹉跌を知ったのもこの舞台。
とにかく楽しかった。蛭に血をやったことも知らずどじょうとこんにちは。あの頃は自然が遊び場だった。
とりわけ青春と呼ばれる時期は悩みの連続。川に問う。川の答は時に冷たく「ノリコエヨ」。
望み高ければ不満もまた。とうとうと流れる川に不満をぶつける。「礫打つ」の表現は秀逸。
メダカを光りごと掬う。ふっと在りし日の父や母がいた頃もそんな一瞬があったっけ、という一場面。