各地に伝わる落人伝説。人里離れて再起を誓った落人たち。蕎麦は比較的痩せた土地にも育つ。花の白は落人たちの志しの高さでもある
屋根の雪溶け水が筧を伝い流れ落ちる。風にまだ冷たさは残るものの光りは春。さくら開花は昔から種もみを漬ける習わしだ。
いのちを繋ぐ米はいきいきとした早苗を作ってこそ。種もみはその原点。苗代作りは厳かな神事でもある。
シャッシャッシャッ。春の光りが待ち遠しい野菜の種たち。春を告げる種袋の音に心弾むのはもちろん種蒔く人である。
大地に生まれた種は大地という胎内に戻りたがる。春の光りに誘われ我先にと五本の指をおどり出る種たち。
やっぱり母と子。種蒔く影はあの日の母の影かたち。そろそろあの日の母の齢を超す。鍬入れも母が教えたように。
この線路は東京へと続く。都会を夢を捨てきれぬ子。行き詰ったらいつでもこのふるさとへ。無人駅舎の温い椅子に腰をかけての無言の二人。
お浄土は花に囲まれていると聞いた。せめての花便り。ふっと息を吹きかけたんぽぽの綿毛を飛ばす。
杉山のあの直立の整列を見るたび居住まいを正す。決して美田ではない。この子になにがしかの役に立てばの親心が切ない。
大げさに聞く耳の形が孫への愛情。久しぶりに「褒めて育てる」という言葉を思いだした。
一粒の種と大地の対比がこの句の肝。やがて地の恵みは旅人も憩う大樹に。日と水とそして母なる大地に感謝。
ふと来年の桜は見ることができるだろうか、という齢になった。とりあえず種を蒔こう。収穫までの一日いちにちを大切に生きるのみ。
巡りくる春は種蒔く母の春だった。ふと納屋の片隅に掛けられた母の手提。そこにはいつもの主を待つ種袋が。
私のこの花好きは母ゆずり。子どもの頃はそうでもなかったがいつしか母好みの花好きに。折々の花が疲れた心を慰める。
時は令和。いよいよ遠くなる昭和。元気だった父、母のことを昭和の種袋がぽつりぽつりと語りだす。
日頃心が離れていても年に一度の種まきは一家総出の年中行事。また緩くなった一家の絆が種まきでキリリと締まる。
さくらが咲き納屋にも春の日差しが射しこむ。耳を澄ませば春だ春だと種の声が聞こえる。
発芽の温度は長年のカン。ここから八十八手を要する米づくりの始まり。一家の主は紛れもなく父であることを証明する一コマ。
風船に春の気流はどこまでも。そして落ちて拾われ花の縁。薄い縁が花咲く縁となって実を結ぶ。
過ぎた昨日より花咲く明日。振り返るより前に進むことが大切であることを教えてくれた一粒の種である。
このところ忘れっぽくなった。さあ春だ。農日記は播種の赤線。去年採種の大根の種はきっとどこかに。
吹けば飛ぶかのごときこの種も大きな命を宿している。一つひとつとまるで命を数えているような。
夢は常に大きく。「ジャックと豆の木」もそうだった。明日は西瓜の蔓を伝って大空へ行こう。
この種を麦に置き換えればよく分かる。一粒の麦がどれだけば多くの人の飢えを救ったか。歴史が物語る。
小さな菜園だけど私の小宇宙でもある。花は虫を呼びやがて実に。小さな野菜たちにもそれぞれの命の営みがある。
まるで安定したシーソーのように以心伝心の夫婦。それでも降り続く雨は、小さな綻びの一つを口にさせる。倦怠期の兆しか。
老いという現実をジョロ持つ手が教える。それなら老いに合わせたジョロをと自己防衛。やがて芽吹きが老いを忘れさせる。
種の重さはまさしく命の重さ。この一粒から生まれる緑はどれだけの命を救うことになるのだろう。緑の中の虫さえいとおしい。
雪深ければいっそう春待つ胸の高まりも。恐らく種袋もそうであろう。私もそろそろ腰を上げねば春に乗り遅れてしまう。
日めくりの赤まるは種まきの日。自然は怠惰な人間たちを時々覚醒させる。「春便り」の暖かい響き。