作者の朝ごはんはきっとお米のご飯だと思います。パン食なら抜くのも仕方ないけど、ご飯はそうはいかない。毎朝きちんとたべる、それが米の飯なんです。そうして作者は米寿になられたのだと感じました。
ふと何処かへ行きたくなったとき、他になんにもなくったって、お釜の残りごはんをおむすびにすればOK。ごはんって頼りになるんです。
外国だろうが宇宙だろうが、朝飯はとにかく米のごはんと海苔がないと駄目なんです。文字数が許せばしゃけと玉子もつけたいところ。
「もっとお食べ」と言っているのは作者がお孫さんにいっているのだと取れますが、作者が子どものころお母さんから言って貰った言葉とも取れます。なんと優しい眼差しであることでしょう。
この方ピアノが趣味だそうで、きっとごはんもおいしそうな音をたてて食べられるのでしょう。歯切れの良い作者のピアノも聞こえてきます。
「ごはんまだ」が復活しますように。
口に入るまでの旅が長いほど味わい深くなります。
日本人ならやはり最後はうちでごはんを食べなくちゃ。
闘うんですね、ハッケヨーイと伸ばしたのがいいです。
若さが食べるんです。年寄になると食いたくても食えない。
ごはん同様、明日もきっとあたたかい。
日焼けの子の黒とおにぎりの白の対比、雪の白というのが上手い。
ごはんにはいろんな力がありますよね。もうこれは魔法ですよ。
三升も炊かなくなったことを「あくびしている」としてのが秀逸。
大釜の鯛飯、贅沢の極みですね。二人ではもったいない。
ぎっしり詰められたのを「犇めき合えり」としたのが上手い。
ジパングを黄金の国と言ったのはきっとこのことかも。
米は別ばら、と上手く時事吟にまとめられました。
わいわいがやがや、待つのもまた楽しいではありませんか。
そう、汗と引き換えだからこそ格別ですねえ。
もっと食いたっかったのにい、あるある。
午前中の出来は良かったかな、午後も頑張れ!
金婚式の朝ごはんは格別だったでしょうね
男は黙して態度で子を躾けるのですなあ。
箸を立てたのはどなたの膳でしょうか。哀しい句です。
もったいないって思わせるお米が偉いんですね。
こんな大家族のごはんなら作り甲斐がありそうです。
何故か「食事よ」とはいいませんよね、おかしいですね。
松茸のふりかけ混ぜたたらもっとらしくなると聞いたような。
五蔵がお祭りになるんですねえ。新米の有難みってすごい。