いつの間にかうちの前に積もっているお隣の枯れ葉に腹立てることなく、うちが好きなんだからという余裕にほほえましいものを感じました。
落ち葉を踏んで歩くとき誰しも少し感傷的になるものですが、この句は「三十路」と「さりげなく」という語でとてもおしゃれな句になりました。
窓をたたきながら枯れ葉が落ちていく、その音をコンサートととらえる感覚が良いですね。きっと作者の耳には素敵な音楽が聞こえているのだと思います。
枯れ葉の表はやはり少し鮮やかで裏は少しくすんでいます。その風情に人の思いを重ねているのですね。決して華やかな思いではありませんが、人それぞれ、忘れられない思いがあるようです。
踏まれても、踏まれても最後まで美しさを見せてくれる落ち葉と同じように、人も最後まで笑顔で居たいと言うのです。「妻に踏まれ」は笑えますね。
人生の晩年の思いを枯れ葉の句に上手く表現されました。
ほほえましい句ですね。宝物、大事にしてくださいね。
散っていく葉と華やかな桜とに魅せられるのが人情というもの。
お孫さんと子犬が枯れ葉の上ではしゃぐ音を合奏ととらえました。
晩年の仲睦まじさを的確に表現されました。
役目を終えて散る枯れ葉に声をかける優しさです。
いつまでも人目をひきたい女心でしょうか。
「お疲れ」と声をかけあう。私たちもこうありたいですね。
裏を見せ表を見せて散る紅葉、良寛の絶句ですね。
いつまでも凛としていたい気持ちの裏返しでしょう。
落葉樹の命はたった八か月なのですね。
色づいた枯れ葉は虫食いまでも味わいがあります。
空の青と柿の朱が目に浮かびます。
いずれも運命ということですね。
もう見かけなくなった枯れ葉への郷愁です。
カサコソが聞こえてきます。
奥様に見せたいのはどんな意地でしょうか。
枯れ葉達は最後にどんな内緒話しをするのでしょう。
いつ散るのと気になる。でも頑張ってもほしい。
渋い枯れ葉色になるのはお互いの影響。人もそうですね。
枯れ葉がゆれるのは、ちり際を見極めているのですね。
見え隠れする枯れ葉が余計に秋を醸し出します。
苦しい時にも明日は必ず来るという希望ですね。
着地点も決っているというのは覚悟をあらわすのでしょうか。
曲げたら折れるのではなく柔らかいとうのが良いですね。