何とのどかなそして美しい日本の原風景。まるで絵画の世界。命あるもの全てを大切に。
山頂を目指す道は一つだけとは限るまい。3つ目の道をあの天辺を目指して一歩ずつ。
言いたいことが山ほど。それを大きな風呂敷に包んで持ってきた。表現が秀逸。
このちらしずしは母からの一子相伝。久しぶり仲間が集まった。ちらしずしから始まる物語。
この一歩が踏み出せなかった。桜の美は咲くことよりも散ることに。当たって砕けるのも美。
春一番が運んでくれた花の種。この風からのプレゼントを有り難く頂こう。
花の下の語らい。いつしかこの出会いが忘れられない人に。花が結んだ縁に感謝。
恐るべし新コロナ。人間社会の混迷も知らず自然は今年のも季節の顔を見せる。
予期せぬ嬉しい出来事。花は生きる勇気をくれる。老いを感じる齢になればなおのこと。
物事はあるようで実は無いもの。この花が散ることによってそれを証明してくれる。
あの頃のマドンナは年を経てもマドンナ。ヒマワリの君は今も取り囲む輪の中でスックと笑み給う。
太陽の下の健康家族。翻る色とりどりは歌うように踊るように。
散ってこその桜花。どんなに美しい花も散ることを知らぬ紙の花では途端に色褪せる。
巡る季節にたがわず今年も桜が咲いた。花が美しいほど廃校となった現実が切ない。
大きく跳ぶためにはより深くかがむ必要がある。水を欲しがる花の根はより深くそれを伸ばすのだ。
思いのほか早く咲いてしまった人生。さてこれからどう生きる。そうだ、これから亀の歩みを見習おう。
社会現象と化した空家。人けのない妖艶な桜が際立つ。誰の称賛も浴びずに散っていくのか。
パプリカはトウガラシの仲間。花が咲くのも命をつなぐため。自然への興味はここから始まる。
花は人間の得手勝手とは関係なくさりげなく自己を主張する。そして以外に強いもの。
歳月を刻むのは時計や暦だけではない。早いものでこの子も七五三.くちびるの紅が背伸びする。
平成から令和の時代になってもあの山櫻はあの頃と同じように山を彩る。いよいよ遠くなる昭和。
酒は手酌に限る。そして小魚の干物と腹蔵なく語り合える友がいれば。明日への源。
釣り好きは自然を最も大切にする。この花は一体何という花。しばし休憩。
とにかくがむしゃらに生きてきた。振り返り歩いて来た道が私の道、といえる余裕がやっと。
いつ寝ているのだろうといつも思っていた。私もいつか母の齢を越した。越したのは年齢だけとは歯がゆい。
今となっては悶々と暮らした日々が懐かしい。真実は一つと言葉では分かっていたつもりだが。
職なしというといえども腹は減る。そして食うためだけに生きているものではないと風が唆す。
生きるために食うた。リンゴの歌が流れるまでは。銀シャリを前にして思う。
木々も野の花も季節を告げてくれるということを忘れていた。生活に追われるとはこういうこと。
老いる、ということはこういうことか。迷惑をかけまいと思って声もかけずに生きてきた社会の断面。